家族が認知症?! その時あなたは:

 

「家族の様子が最近ちょっとおかしい・・、トシのせい?」

家族の異変に気付いてもそれが認知症なのかどうか、初期の段階では判断がつきにくく、受診を迷う方も多いと思います。一般に言われている症状が当てはまるような違うような・・日常のちょっとした一コマで感じる違和感。

気付いた頃の様子、その時どのように対処したか等、皆さんの体験談をお寄せ下さい。現在悩まれている方の良い参考になるかもしれません。

 

家族が認知症かもしれないと思ったら、まず市役所(地域包括ケア推進課)に相談しましょう。お住いの地域の包括支援センター(藤枝市呼称:安心すこやかセンター)を教えてもらえます。

 

藤枝市役所 地域包括ケア推進課

426-8722 静岡県藤枝市岡出山1-11-1 藤枝市役所西館1

電話:054-643-3225


ケース1<何時でも家計簿やレシートを広げ計算ばかり/実母>

 

父が亡くなり一人暮らしとなった母の様子を見に行くと、何時でもダイニングテーブルの上に家計簿やレシートを広げ計算ばかりしていました。母は必死で家計簿とにらめっこ。「大変で外に行く暇もないわ。」と言って外にも出なくなっていました。今思うと何回計算しても計算が合わないし、わからなくなってしまう。外で近所の方に会って親しげに話しかけられても誰だか思い出せない。そういう事だったのでしょうが、忙しくて外にも出られないという実に巧妙な言い方に、何だかおかしいと思いながらも、気にしないようにしていた私でした。昔から経理の仕事をしていた母でしたので、自分自身で上手く計算できない自分をおかしいと思っていたと思います。

 

そのうちに洋服をタンスに入れずに重ねておくようになったのです。何時でもきちんと片づけていた母でしたので母らしくないなあと、漠然とした不安がよぎりましたが、でも一人暮らしだし、だれが訪ねてくるわけでもないので、まあ困る事もないと、この時もまた、思う事にした私でした。

 

これはおかしいなと確実に思ったのは、寒がりだった父が亡くなったにもかかわらず、暖房費がとても高くなった時でした。母は家中を温かくした方が良いとドアや襖を開けっ放しにするようになっていました。私が「ストーブ一つで家じゅうを温めることは出来ないから、閉めないと何時までも寒いよ」と何度伝えてもかたくなに聞き入れませんでした。何でわからないんだろう?と思いましたが、聞こうとしない性格なのかな?でも理解する事が出来ないのはおかしいなと思いました。

 

血糖値が高く、糖尿の傾向もあるという事で、病院で糖尿の説明を受けた時です。先生が「糖尿と言うのは血液の中の糖の濃度が高くなって、血液がドロドロになってしまうんですよ。」という事を繰り返し何度も何度も説明してくださったにもかかわらず、先生から「糖の濃度が高くなると、何がドロドロになってしまうのですか?」と質問されると「尿です。」と答えていました。幾度も幾度も繰り返し説明して下さるにもかかわらず、母は最後まで血液の中と答える事が出来ませんでした。これはおかしい、普通じゃないと確信しました。たまたま受診していた病院が総合病院だったため、神経内科を受診する事に抵抗はなく、それから少しして、アルツハイマーである事がわかりました。

 

いいえ、今思うともっと前から、おかしかったと思う事があります。でもそれが本当に認知症のはじまりだかどうか?私も自信はありませんが参考までに・・・

 

母が60歳になるかならないかの頃の事です。歌が好きで自分で作詞作曲をしていた母に、ラジカセをプレゼントした事があります。楽譜が書けなくても、録音しておけば良いと思ったからです。操作は出来るだけ簡単なものにしました。それなのに何回説明しても覚えられなかったのです。カメラをプレゼントした時もイマイチ覚えられず・・・

 

経理をやっていたせいか、こまめに貯金などにも励んでいたので、ATM を利用するようになると思っていましたが、結局キャッシュカードを作っても、使うことはなかったように記憶しています。その頃の母は、とてもしっかりしていたので、何で簡単なカセットやATMが覚えられないのか不思議でした。もしかしたらこのころからじわじわと認知症が忍び寄っていたのかもしれません。そう考えると何だか怖くなります。

 

 

ケース2<車で東名を逆走、離れて暮らす息子と娘は免許証返納に反対/夫>

 

夫の異状に気付いたのは五年前、いいえもう少し前でしょうか。車の運転しか趣味のない夫が、東名を逆走したり、バイパスで交互に進行する列に相手の車をいれず怒鳴られたり、通いなれた大井川の歯医者さんへ行き着かなかったり、今思えば前兆だったと思います。

 

八十歳を直前に、主治医にお願いして夫を説得してもらい車の免許証を返納しました。「お父さんから車を取り上げたらすぐに惚けちゃうよ」と、はなれて暮らす息子と娘は、口を揃えて反対しましたが、父親の現状を知らない彼らは呑気なものでした。この交通不便な僻地で一番こまるのは私自身と思いつつも、独断で六台目の車に別れを告げました。

 

初対面の脳神経外科医は、精密検査の結果、病名は告げずに「奥さんがこれから大変になりますよ」とだけ言われました。処方された薬を見て納得、認めるしかありませんでした。

 

認知症高齢者の自動車運転を考える〜家族介護者のための支援マニュアル(こちらからダウンロードできます)

 

 

ケース3<元々の性格? 精神的な病気? 主治医に相談がベストでした/実母>

 

まわりの人から「お母さんは何年前に発症したんですか?」「介護何年目ですか?」そう聞かれるたび私は「う~ん」と首をひねってしまいます。はっきり何年と言えないのです。それは母の症状が、元々持っていた性格の一部が年齢とともに強調されていっただけのように見えたからです。母は83歳、アルツハイマー型認知症で半年前に施設入所しましたが、今までの道のりは途方も無く長かったと感じています。

 

母に対するかすかな違和感は60代の頃からすでにあったような気がします。時折見られる ”なんだか子供っぽいな” と思えるような言動です。でもまだとてもしっかりしていて、私よりも冴えているくらいでしたので、特に気にも留めていませんでした。そして母の様子に漠然とした不安を感じ始めたのは70歳を少し越えたあたり。あれ? おかしいな、あんなに頭の回転の速い人だったのに、こんな簡単なことが理解できないの? もうトシかしら? そんな程度のことがたまにありましたが、でもまさか認知症なんて思いもしませんでした。今思えば当時の母は「最近物忘れがひどくて、もう大ボケよ」と、しきりに言っていました。本人が一番わかっていたのかもしれません。

 

母はもともと外へ出掛けることが好きではなかったのですが、この頃からますます気にするようになっていきました。明日出掛ける、となると、前日は朝から晩まで支度をしているのです。洋服を選び、バッグの中を確認し、お金を数え、約束の時間を確認し・・。ここまで終わるとまた洋服を選び、バッグの中を・・・。それも「心配なので何度も確認をする」と言うより「初めて用意をしている」というようにも見えるのです。もともと几帳面で心配性でしたが、その範疇を明らかに越えています。

さすがに異常を感じた私は、むさぼるようにネットで検索し、認知症に関する情報を集めましたが、そこに書かれている内容はあまり母には当てはまりませんでした。長谷川式の100から7を引いていく計算もお手のもの、時計の10時10分の絵なんて私よりも正確にさらさらと描いてしまうんです。本やネットで認知症の初期症状としてよく書かれている項目は、初期とはいえけっこう進んだ状態のものではないでしょうか。むしろそこに至るまでに長い長い年月があり、そして本人と家族の苦悩があると思います。

 

認知症でないなら何だろう、精神的な病気? その頃の母は、親戚の集まりでも人の話はほとんど聞かず、一方的にしゃべりまくっていました。自慢話を始めたら喜々として止まりません。でも元々そんな傾向はあったのです。ただ、今は自慢話の内容が明らかに作り話であることが家族にはわかります。でも、もしかしたら私が子供の頃から聞かされていた自慢話も作り話だったのかしら?虚言癖? 母という人間自体がわからなくなりました。元々なにか精神的な病気があったのではないか・・。

不安でたまらなくなった私は認知症を診てくれる病院をネットで探し出し、嫌がる母を叱りつけるようにして受診させました。でもその病院で母は先生から「あなたの脳はね、今6歳児だ」なんて面と向って言われ、とても悲しい思いをしました。2度とそこへ連れて行く気もなくなり悩みに悩んだ末、母には内緒で思い切って内科主治医の先生に相談することにしました。すると意外にも先生は認知症に関して豊富な知識を持っていらっしゃったのです。生活上の細やかなアドバイスもたくさんいただきました。そしてなにより愛情を持って母に接してくださいます。本人の前では認知症の話なんて絶対にしません。

 

「僕の患者さんの中にも認知症の人はいるけど、あなたのお母さんとは見た目だいぶ違うんだよなぁ。まず着るものに出るんだけど、お母さんはいつもきちっとした格好をしてキレイにお化粧もしているし、う~ん・・少し様子を見みよう」ということになりました。母は身体は元気でしたが便秘薬を貰ったり健康管理のため月に1度は診ていただいていたので、先生はそのたび注意深く観察してくださいました。「アルツハイマーは他人の前では優等生でいるからね。お母さん、なかなかシッポを出さないなぁ」「シッポって先生、アハハ!」なんて調子で、気心の知れた先生に相談できるようになって、私も心が軽くなっていきました。

 

それからしばらくして認知症の診断ができる病院を紹介してくださることになったのですが、「検査のこと、お母さんには僕から話をするよ」と、最も大変な役を先生が買って出てくれました。母も先生から言われたらイヤとは言えません。そして検査の結果は「アルツハイマー型認知症」。それを受けて主治医の先生「よしっ、放っておくとどんどん進んじゃうからデイサービス行かせよう!すぐ市役所行って!介護保険の手続きっ!僕もすぐ意見書書くから!」と持ち前の瞬発力を発揮。私はというと「え?! 市役所?」そこで初めて知ったのです、まさか認知症で市役所へ行くなんて。しかも介護保険って寝たきりの人しか使えないと思っていたほどの無知ぶり。さてそこから先はあれよあれよとケアマネさんがつき、デイサービスが決まり、介護の日常がスタートしました。

 

私の経験を振り返ると、家族が認知症かもと思ったらいきなり自力で専門医を探すより、まず信頼のおける主治医に相談が良いのではないかと思います。家庭医は広範囲の知識を持っていますし、患者の家族構成やそれぞれの性格、生活パターン、すべて知っているので最適なアドバイスをたくさんしてくれます。そして専門医への受診の際も、本人を上手に説得してくれますし、良い病院の情報も持っています。それから重要なのが、この後始まる長い長い介護の日々。ここでも主治医は本人だけでなく家族の健康状態やストレス(介護鬱になっていないか等)にまで常に気を配って、支えてくれます。

 

認知症がかなり進んだ現在でも母は「アルツハイマーになって別人になってしまった」という印象はなく、「元々持っていた性格の癖が度を超えて暴走していった」という印象です。なので、いつ発症したかと問われると、どこまでも年齢を遡っていってしまうのです。

 

 

ケース4<発症の何年も前からテレビの内容が理解できない/実母>

 

私の実母はアルツハイマーと診断される何年も前からテレビの内容が理解できなくなりました。理解できない、というより、もっとおかしいんです。

たとえば、恐竜が出てくる映画を見て「あんなのがいるんだね」と、信じてしまうのです。恐竜がデパートの試着室の鏡に向ってポーズを取っているような、明らかにおかしな場面でも「あ、あんなことをしている」と、信じてしまっています。私が「有り得ないでしょ!」といくら言っても耳に入らない様子でした。他にも、事件の再現映像を実際に映したものだと思い込んでいました。椅子に縛り付けられた女性の恐怖におののく顔、刃物を持った犯人が薄ら笑いをしている大アップなど、いかにも演技だということがわかるはずなのに「うわあ、映していたんだね」なんて言っていました。当時の母には、他にこれと言っておかしな症状がなかっただけに、とても不思議でした。あと、番組とCMの境がわからなかったようです。

 

 

ケース5<うつ病から認知症へ/70代夫

 

かかりつけの内科のお医者さんに行き、身体の症状を話したところ、うつ病と診断されました。その時、老人会の役員をやっていたのですが、すぐ誰かに替わってもらってゆっくり休んだほうがよいと診断書を書いてくれました。でも替わってくれる人もなくそのままでした。その後、今度は脳外科に行くと自分で行きました。そこでも話をしたらうつ病だと言われ薬を貰って来ました。その薬は脳を休める薬だとか、1日中うつらうつらして横になっていました。子供達もこれではボケちゃうよと心配していました。MRI、長谷川式の検査でも年相応と言われ、それからもうつ病の治療を続けていました。

1年近く経ってもう一度検査してもらったら認知症だと言われました。この期間これと言って家では変わった事はわかりませんでした。まさかこうなるとは思ってもいなかったのでしょう。

でも後から人から聞いたところでは、近所の居酒屋さんの勘定を払わなかった、その事は自分でも気付いたらしく「払ってくる」と言ったのは私も覚えています。老人会の会員の弔問も主人らしくなかったよと教えてくれました。年を取ってからのうつ病は認知症の始まりだと思いました。お医者さんにかかっていて認知症になるって、なんだか、私は迂闊だったと思いました。

 

 

ケース6

 

物を探して、無いと思うと他人のせいにすることから始まりました。 

まだ太陽が高いのにカーテンを閉めてしまい、暗くして座っている時がありました。

怒りっぽくなり大声を出したりしたこともありました。

 

 

ケース7

 

通帳を何度も紛失。

コーヒーに塩を入れる。

本人が「私、痴呆かしら・・」とつぶやいた。

同じ物を何回も買う。

冷蔵庫の中に何年も前の消費期限のものが入れてあり、包丁も入っていた。

 

 

ケース8

 

怒りっぽくなり、自分の思い通りにするよう人に指示する。

関係のない人の行動を見て私に怒ったり、文句を言う。

他人には少しの時間はしっかり出来るので、周りの人はわかってくれなかった。

 

 

ケース9

 

お金がない、財布がない、が始まりだったと思います。

 

 

ケース10

 

日付を覚えられない。

早朝、夜、出て歩く。

元気がない。(孫達と出掛けたりする時)

 

 

ケース11

 

「お金を盗まれた」とか、私が家にいると「今日は日曜日」と言ったので ”変だな” と思ったが、それが認知症の始めかなと思う。

 

 

ケース12 <妻>

 

客室の鍵を無くした、盗られたと言って困らせた。

夏でも網戸を嫌ってガラス戸や雨戸まで閉めてしまう。

家の中に居られなくて、天候に関係なく散歩に行ってしまう。

 

 

ケース13 <夫>

 

物忘れはもちろんですが、税金の事など退職後きちんとやっていたのに、しなくなってきたのが始まり?

後で1年経ってから気付き大変でした。

 

 

ケース14

 

丸いものが動物(犬や猫)に見える。

 

 

ケース15

 

畑仕事をして道具を忘れてくる。

農作業のやり方をわからなくなった。

 

 

ケース16 <妻>

 

通帳とかお金がどこかへいった。

2階に寝ていて「夜中に窓を女の人が叩く、中に入れてくれと言っている」と言って、全室の電気をすべて灯けて、窓とドアを全開。冬は風がビュービュー入ってきても平気でいた。漢方の抑肝散(よくかんさん)を服用後、改善されたが、夜中に起きてドアを開けて、閉めることはできない。今だに続いています。

 

 

ケース17 <義母>

 

主人の母は90才で要介護4、その義母の様子があれ?と思ったのは7年前。買っておいたお菓子を1袋全部食べ、包装紙をキレイに袋の中へ入れてあった事から始まりました。しかし、昼間は今まで通り一人で留守番をしてくれ、洗濯物を片付けてくれました。

 

 

ケース18

 

日にち、曜日を間違える。

今言ったことをすぐ忘れる。

こだわることが多い。

 

 

ケース19 <妻>

 

同じ食品を何度も買ってくる。

バッグを店にたびたび忘れる。

車で出掛けても帰り道がわからなくなり、電話がある。

食事が長時間になる。

 

 

ケース20 <夫>

 

朝方3時半頃、全部着替えて「出掛ける・・」と言われビックリ!

1日に10回くらい、玄関を出たり入ったり、ジョウロに水を入れて用事の全くない家の裏へ行くので、そっと着いて行くと放尿していた。常々、行儀のいい人だったのでビックリ!

 

 

ケース21 <夫>

 

リモコン、空気入れなどを持って派出所へ行って「危険性があるか?」ときく。

「隣の温水器のところに誰かがいる」「近所の屋根の上に人がいる」「隣の家に飛行機が降りた」「飛行場ができる」などと言う。

テレビのリモコンを電話の受話器のように扱う。

 

 

ケース22 <怒りっぽくなった>

 

すごく怒りっぽくなった。言葉の暴力。テレビを観ていてもCMに対して怒っていた。甥に対しても挨拶しないと怒っていた。

工事の人のドアの開け閉めや、夜の作業の明かりが眩しいと怒りに行った。(血圧が高かったので思考力が弱っているのでは?と言われた)

眠れないと言うので受診先で入眠剤を下さいと言ったが断られた。そうしたら先生に怒りに行き、病院を変わってしまった。

ATMが使えない。

知人の家に行く時「家がわからなくなっちゃったよ」と連絡があった。

 

 

ケース23 <待ち合わせの場所がわからない、警察官に認知症と言われる/実父>

 

仕事に忙しい私の代わりに、主夫として家の事は、何でもやってくれた父。時には、親孝行の名目で毎月1回は父と外出を楽しんでいました。


今から7年ほど前の事、普段通りの会話をしながら、東京へと車を走らせていた。小雨の降る中、新宿駅近くまでくると、「トイレにいきたい」と言いだし、近くの百貨店に飛び込むと、駐車場は1時間待ち。車寄せに止まり「ここに、いるから もしわからなくなってしまったら、“ヴィトンの入り口はどこですか?”と聞いて戻ってきてよ。ヴィトンだよ!ヴィトン。お父さんのお財布はなに?」
「ヴィトン」 
「ヴィトンだよ、わからなくなったら店員に聞いてね」父は、「わかったよ」と言い百貨店の中に入って行った。


まさか、恐れていた事がこの後起こるとは……。戻ってこない。いらだちの中、時間だけが過ぎていった。百貨店の方に、店内のすべてのトイレなど探して頂いたが見つからない。 警察に届けましょうと言うことで警察に捜索願いを出す事になった。その時、警察官の言葉に耳を疑った。「それはね、認知症の初期状態ですよ、僕の母も認知症でね・・」と私に言い聞かすように話しかけた。認知症? 失礼なおまわりさんだと話を聞いていた。


閉店後、百貨店内を隈なく探してくれたが見つからない。百貨店の方が新宿の駅まで足を延ばし探しに行って下さった。警察官の言葉が、頭の中によみがえっていた。やはり認知症なのか 一人で行かせた私が悪いんだと反省をしながら、父の無事を祈りながら待っていると「見つかりました、こちらに向かっています」と連絡を頂き、はるか遠くに、歩いてくる姿を確認。疲れきって、やっとで歩いているといった姿で一歩一歩車に近づいてきた。良かった〜と思うと同時に、私自身の気持ちを落ち着かせるようにした。父を車にのせて走りはじめて、私から、「ごめんね、場所わかりにくかったね」と言うと同時に手が顔に飛んできた。

 

帰宅してしばらくすると、父から話しかけて来た。「俺は、ヴィトンのところで ずっと待っていた。居ないから新宿の駅の方を探しに行ったんだ」その言葉を聞いた時に、根拠はないが、認知症ではない!! 認知症なら、それすら覚えていないし、話はつじつまが合っているから、単に広すぎるデパートで方向がわからなくなってしまっただけだと、私自身に言い聞かせて、認知症と認める事のできない私がいた。
 
あの時、病院で診察を受けていればと、今思えば後悔をする今日この頃です。

 

 

ケース24 <冷蔵庫にパックのおかずが毎日増えていく/夫>

 

夫の認知症を始めて感じたのは、冷蔵庫の中にお豆腐、ホーレン草のゴマ和え、オクラのおかか和え、パックのおかずが毎日のように増えている。(食べるでもないのに好きかな?)と思い、本人が買ってきたのを私が食するのは失礼だと思い、そのままにしておく。日毎に同じものがたまってきた。
 
市の検診より帰って来た彼に血圧はどうでしたか? の問かけに、「女性が大勢いた。血圧なんか計らないよ。どんな服を着ているのか見ただけだよ」との答えに私は変だと直感、すぐ保健センターへ電話を入れた。すぐ返事があり「血圧は計りました。一寸へんですね?」といって包括センターより一報が入った。

 

 

ケース25 <匂いを感じなくなる/実母>

 

鼻が悪くなり匂いを感じる機能が弱くなったので、おかずを少し焦げ目にしたり、室内が匂うのに換気をしなかったりした。

 

炊いたご飯があるのに、それを丼に移して釜を洗い、米を研いで炊いてしまうことが半月ほど毎日でした。

 

置き忘れてしまったのに「ない」「◯◯さんに盗まれた」と言うことが多くなった。

 

 

ケース26 <暑さ寒さがわからなくなる/夫>

 

夏なのに暖房を押して32度までにしてしまい、私が部屋に入りあまりの暑さにびっくり。反対に冬なのに冷房16度までにしている。暑さ寒さがわからなくなっている。

 

テレビのチャンネルを押し続けて電気回路を壊してしまった。

 

 

ケース27 <暴言がひどくなった/夫>

 

妻への暴言がひどくなり、心を傷つけることを平気で言うようになった。「貴女とは結婚したくなかった」「貴女の兄弟には何度恥をかかされたかわからない」

 

新車を買った時期を全く違うことを言い、自分の意見を主張した。

 

 

ケース28 <義父>

 

同じことを何度も言う、たずねる。

車の運転で信号無視、スピードを出す、車が傷だらけ。

テレビの内容がわからない。

銀行、病院などで順番が待てなくて割り込む。

物を盗まれたと言う。

新しいカーペットを切り刻んで捨てる。

郵便物を押し入れにしまい込む、捨てる。

電話の内容がわからない。

薬の飲み忘れ。

大声でわめく。

 

 

ケース29 <家の人に隠れて何かをする/義父> 

 

お菓子を庭の隅に隠していた。

大きなゴミを家の前の川に流した。

 

 

ケース30 <必死で言い訳をする/義母> 

 

小さな事でも失敗すると必死で言い訳をする。

トイレの電気を消し忘れる。

お鍋を焦がす。

 

 

ケース30 <時間がわからない/義母> 

 

ウトウトしていることが多いので、起きると朝の5時か夕方の5時かわからない。

季節がわからなくなる。(厚着や薄着)

同じ物(下着やタオル等)を何回も買ってくる。

 

 

ケース31 <まわりの音が気になる/夫>

 

食事の時間が少しでも遅れると機嫌悪くなる。

自分の思い通りにならないと私に当たる。

まわりの音が気になりやかましいと怒る。

 

 

ケース32 <義母>

 

財布をなくした時、家族に知られたくないのか、こっそり夜中に探しまわる。

来ていない人が来たと言い張る。

電話を受けてもその時は普通に喋っているのに、切った途端に誰だか忘れている。

 

 

ケース33 <夫>

 

落語が好きで録音したテープをやたらいじり始めて壊してしまった。

車で山へ出掛けて、帰ってくるときっとどこかにキズが付いていた。

 

 

ケース34 <大雑把になった/義母>

 

お金の事を気にしなくなった。

お金の管理ができなくなった。

性格が大雑把になった。

 

 

ケース35 <救急車のお世話に/義兄>

 

定年退職後、家族が多忙なため一人留守を守っていた義兄。三年前、得意で作っている梅干しを取りに地下室へ降りて行ったまま戻らないので、心配した家族が様子を見に行くと、梅干しのカメの横で眠っていた。救急車のお世話になった。

 

今年旅行に行った際、ちょっと目を離した間に、目の前の列車に乗り込んでいた。

 

 

ケース36 <お風呂の回数が減る/実母>

 

ATMが使えない。

待ち合わせの時刻より何時間も早く行く。

カセットが使えない。

医療保険を払うだけで受け取らなかった。

お風呂に入る回数が減る。

 

 

ケース37 <介護マークを提案/妻>

 

私は、今日までの間、多くの皆様の助けを借り、妻の介護をしてきました。

今から12年ほど前になるかと思います。私の父の介護のため、妻は会社を退職し、がんばって父の介護をしてくれました。数年後、その父が他界し、子供たちもそれぞれ家庭を持ち、夫婦2人の生活が始まりました。

その頃から、妻の様子に変化がみられるようになってきました。日常生活の中で、会話が合わなかったり、何もないのに上を向くのを怖がったり、洗濯物の干し方が異常になったり、食事の仕度に3時間以上かかったりするようになりました。

また、近くのスーパーへ買い物に行くと、帰り道が分からなくなり、知らない人に送ってもらうなど、今までにはない行動が見られるようになりました。「この先どうなってしまうのだろう」と不安になりました。


妻の変化が心配になり、病院を受診すると、医師から”若年性アルツハイマー”と診断されました。その時妻は58才でした。目の前が真っ暗になり、その日から途方に暮れる毎日でした。そんな中、病院で処方された薬を飲み、何とか穏やかな日々を過ごしていました。


そんなある日のこと、2人で旅行に行った帰りに富士川のドライブインで、トイレに立ち寄りました。いつまで待ってもトイレに入った妻が出てきません。心配になり、私が女子トイレに行くと妻の叫び声が聞こえてきました。私はあわてて女子トイレに入り、ドアの外から必死に、ドアの開け方を説明しました。そして、ようやく妻は、外に出ることができました。しかし、女子トイレから妻と一緒に外へ出ると、私を待っていたかのように男性3人が取り囲んだのです。妻の叫び声で私を不審者だと思ったのでしょう。住所や名前を聞かれ、免許証を見せて事情を説明し、ようやくわかってもらいました。


このドライブインでの出来事は忘れられないつらい思い出です。こんな時のために付添いマークを作って欲しいと思うようになりました。そして、ほっと会で提案すると皆も同じことを考えていました。この件がきっかけで、介護中とわかるマークのようなものがほしいと考えるようになりました。今ではこのマークが普及し、男性介護者のトイレや買い物での介護で大いに役立っていることと確信しています。


その後、妻は歩く事も出来なくなり車イスの生活となりました。私はまた、不安な日々を過ごしていました。その頃、家族会へ参加して、皆さんと話をする中で、思い切ってまわりの人たちに妻の病名を知らせようと、決心しました。

すると、妻と散歩している時、近所の人たちが気軽に声をかけてくれたり、子どもたちが登下校のとき、近くに来て話をしてくれたりする事が多くなりました。そんな近所の人たちとの会話の中で妻も落ち着いた日々を送っていました。

思い切って、こちらから皆さんの中に入っていったことがよかったのだと思います。今思えば、毎日散歩で皆さんと触れ合ったことが病気の進行を遅らせることにつながったのではないかと思います。


65才となった妻は、ベッドの生活が多くなるにつれ、着替えも大変になり、食欲も落ちてきました。思ってもいなかった、床ずれができてしまいました。

床ずれができてから、毎日、朝晩、野菜と果物のジュースをつくり飲ませて、床ずれのできやすいところに、ビーズの枕などを置き、夜間目がさめたときには、体の位置を変え、いろいろな面で気を使いました。その効果があったのか、だんだん食欲も出てきて1年余りで床ずれが完治しました。そのとき、病院の先生が「お父さんよくがんばったね」と声をかけてくれました。


この頃から、ショートやデイサービスといった介護サービスを利用しながらも、自分ひとりで介護していくには、少し無理があると考えるようになりました。地区の集まりや急な用事ができたとき、どうしたらよいかと思うようになりました。しかし、そんなときには、近所の友達が留守番や話し相手に来てくれて、本当に助けてもらいました。


この頃から、施設への入所を考えるようになり、あちらこちらへ、入所の申し込みをしました。妻はこのとき、要介護4となり、通知を受け取ったときには「いよいよ来る時が来た」と自分に言い聞かせました。

 

 

ケース38 <道がわからなくなる/夫>

 

何回も通っている道がわからない。

(例:駅から家までの道順がまったくわからない。通常13分のところを1時間かかってしまう。)

 

 

ケース39 <実母>

 

回覧板を押し入れの中にしまってしまう。

 

 

ケース40 <洗濯機の使い方がわからない/実母>

 

電話で話をしていた時、洗濯機の使い方が難しくてわからないと何度も聞いてきて、お嫁さんに教えてもらってと言っても、それはできないと言っていた。

 日付を聞くとちゃんと答えられない。

 

 

ケース41 <年賀状を出さなくなった/実母>

 

毎年出している年賀状を出さなくなった。

友人と待ち合わせをしたのに時間と場所を間違えた。

冷蔵庫の中に賞味期限切れの食品が増えてきた。

炊飯器の中に炊いたご飯がいつまでもあり、腐敗していた。

電子レンジが使えなくなってきた。

食事の時間が不規則になってきた。

自分で簡単な料理もしなくなった。

 

 

ケース42 <実父>

 

人の名前をよく間違えるようになった。

 

 

ケース43 <やりっ放し/本人>

 

いろいろな事がやりっ放しになっている事が多くなっている自分にびっくり。

頭が痛い。(母が認知症でしたが、いつも頭がすっきりしないと言っていた。)

 

 

ケース44 <妻>

 

トイレの電気を消さない。

 

 

ケース45 <実母>

もの静かだった母の声がとても大きく感じられ、私の悪口を親しい人や姉妹に言っていた。

料理の上手だった母の料理の味が変わった。「味がわからないなー」と言った。

父の介護(ガンの終末期)をしていたある日、「もうイヤだ」と突然姉の家に行ってしまった。

 

 

ケース46 <夫>

パソコンの操作ができなくなって、教えても覚えられなかった。

 

 

ケース47 <実母>

判断力の低下。(どうして良いかわからない)

落ち着きが無い。

 

 

ケース48 <暴言/夫>

妻に対して暴言がひどくなる。

モラルハラスメントがひどい。

新車を病気が発病してから家族と藤枝で購入したが、本人が「一人で静岡で買った」と言って譲らない。

 

 

ケース49 <妻>

お金、免許証、家や車のカギなど探すことが多くなった。